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1949年に結婚したローラ・アシュトレイは
秘書として働きながら2人の子どもを育て、
その合間にナプキンやテーブルマット、ティータオルをデザイン。
ロンドン中心部のピムリコにあったアパートの屋根裏で、
夫のバーナードが自作の機械を使ってプリント。
夫妻は10ポンドをプリント用木枠や染料、
リネン生地に投資していたが、
ローラはヴィクトリア&アルバート博物館で
婦人会が伝統的な手工芸品を展示していたのを見て、
プリント柄布地の生産を始めることを思いついた。
パッチワークに使うため、
ヴィクトリア朝風のデザインをあしらった布地を探したところ、
そのようなものは出回っていないことが分かり、
1953年にヴィクトリア朝スタイルのスカーフの生産を開始した。
オードリー・ヘプバーンがローマの休日でヘッドスカーフを着用し
世界的な流行が生まれた事で
アシュレイ夫妻のスカーフもすぐに人気となり、
通信販売や百貨店チェーンのジョン・ルイスなどの店舗で
多くを売り上げた。
バーナードはそれまでの仕事を辞め、プリント布地の生産に専念。
以後、ローラが製品のデザインを手がけ、
バーナードがプリントの機械を作るという体制となった。
売り上げの増加に伴って人材を雇用し正式に会社組織となった。
最初はローラの旧姓『アシュレイ・マウントニー』 だったが、
「扱う商品を考えると女性の名前を使ったほうがいい」という
バーナードの意見により、『ローラ・アシュレイ』に変更。
1955年、会社はケントに移転。
1958年、川の氾濫によって機械設備や材料が大きな被害を受けた。
また夫妻に3人目の子どもが生まれたのをきっかけに、
アシュレイ家は1961年にローラの故郷でもあるウェールズに移り、
ウェールズ中部のカーノに落ち着いた。
最初は村の社交クラブに拠点を置いていたが、
1967年、営業休止となっていた村の駅に工場を構えた。
バーナードが新たに開発したプリント技術によって
週に5,000メートルの布地を生産することが可能になり、
それまで作業着のような服ばかりを手がけていたローラも、
1966年に初めての社交用ドレスを製作。
このドレスの長い丈のシルエットは、
以後ローラ アシュレイのトレードマークとなった。
1960年代の終わりにかけて、
ファッションの潮流がミニスカートから
ロングスカートへと移っていった時期とも重なり、
会社の業績をさらに押し上げる力となった。
ある新聞は『ローラ アシュレイ』を着た女性なら、
映画『明日に向って撃て!』のキャサリン・ロスのように
美しくなれるだろうと書いている。
1968年、『ローラ アシュレイ』最初の店が
ロンドン中心部のサウス・ケンジントンで開業。
1970年、イングランド中西部の町シュルーズベリーと
バースにもオープンした。
ロンドン店で1週間4,000着のドレスが売れるほど好調で
工場をさらに1か所、ウェールズに増設。
1974年にパリに出店した際、
その後 CI として定着する緑色のブランドロゴと
木目調の内装を初めて採用。
1977年、イギリス政府より大英帝国勲章を授与申し出を受けたが
バーナードに対して何の褒賞もなかったため受章を辞退。
代わりに英国女王賞を受けた。
1979年には、香水や家庭用品の展開も始まった。
1980年代にはバーナードがナイトの爵位を受け、
会社も新たな子供服・家庭用品のシリーズを立ち上げた。
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ノッティンガム・レースは
1809年、ノッティンガムにて ジョン・ヒースコートによって
生産技術の特許をとり、発明された
マシンメイドによるプレーン・ネットを生産する
ボビンネットのオールドラフバラーマシンにより
マシンメイドチュールが生産された事が始まり。
ジョン・リバーはオールド ラフバラーマシンを基に
1813年にリバーレースマシンを開発。
1823年頃までに60インチのビームに毎分80回転の
シンプルなネットが中心に生産。
1837年にはジャカードシステムが取り込まれ、
ライナーの役割を果たす太めの糸が取り込めようになったり、
複雑な柄を作れるようになり、
よりハンドメイドに近くなります。
マシンメイドはハンドメイドの6000倍の速さで作成、
遠目に眺めると手織りチュールと区別ができなかった。
その後の改良により、1830年以降、
あらゆる種類のレースが正確にコピーされた。
極細の糸を10,000~20,000本程使用し、
色々な模様に撚り合わせて編むことにより、
繊細で優美な表現の豊かな柄が特徴。
ハンドメイドレースの原理を応用することによって、
経糸に複雑に絡み合い立体感に溢れるデリケートな模様が生まれ、
モチーフに柔らかみのある
最もハンドメイドに近いマシンメイドレース。
最も繊細で気品に満ちており、
現在では製造できない貴重で伝統あるリバーレースの機械本体は、
世界でも限られたメーカーのみが保有し、
継承される高度な生産技術と熟練の技から生まれるリバーレースは
大変希少価値の高い芸術品であり、
機械レースの中でも最高級レースとされています。
エレガンスを極めた多くのオートクチュールメゾンの支持を受け、
プレタポルテ、高級ランジェリーやブライダルに多く使われています。
ノッティンガムのマシンメイドレース産業自体は、
ヨーロッパの他の地域より発展し、
長期にわたって繁栄した。
イギリスと北米との密接な関係や
広大な植民地の所有により、
イギリスの機械レースの繁栄は1860年代まで続き、
1930年に衰退したが、現在も存続はしている。
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『ローラ・アシュレイ』ノッティンガムは
ノッティンガムレースの伝統的な技術を再現したアイテム。
古くから伝わるハンドフレームの技術で織られたレースは
その美しいデザインと高品質が認められ、
ロイヤルウエディングのドレスにも使用されるほど格式高い。
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私が愛用する『ローラ・アシュレイ』ノッティンガムの
テーブルクロスとティーナプキンは
アフタヌーンティー用。
プレイスマットと
『コールポート』カントリーウェアの
ナプキンリングを付けたディナーナプキンは
フルイングリッシュブレックファスト用。
全てコンサバトリーテーブル専用です。
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注:これらの作品は重田将秀店長の所有物であり
オーダースーツSADAでは販売しておりません。
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